同じ日本人でも異なる神様感

こんにちは!

ショーコです!

同じ日本人でも異なる神様感

「神様」という言葉にとても激しいマイナスな反応をされる方にお会いしました。

日本といえば天津神、国津神、八百万の神の国だよね!

だから日本人はみんな、同じ神様感を持っているよね!と思っていたら・・・

それは大間違いでした・・・!

言われて考えてみれば当たり前のことなんですよね。

日本人とはいえ、皆さん育った環境が違うんですもの。

「農村」文化で育った私

私は、日本の基本である「農村」文化をいっぱいを浴びながら育ちました。

祖父母は田畑を耕し、田んぼで採れたお米や畑で育った野菜を当たり前のように食べて育ちました。

祖母は、採れたての枝豆や空豆、とうもろこしをすぐに塩茹にしたり蒸したりして食べさせてくれました。

その頃食べた空豆や枝豆、とうもろこしを超える美味しい野菜には巡り合ったことがありません。

特に、夏はこのような美味しい野菜の宝庫だったという思い出があります。

家の周りには自然がいっぱいありました。

山、林、野原、たんぼ、池、海!

自然をすぐ近くに感じられる環境で育ちました。

神社については、頻繁に行くというよりは人生の節目節目に参拝していました。

仏壇には、どなたからかお土産をいただいたそれをお供えしたり、なんでもない時に手を合わせていました。

もちろんお墓参りにもたくさん行きました。

私の実家は、井戸には井戸神様、山には山神様、台所には荒神様がいるのが当たり前。

(視えてはいなかったですよwでも、「いる」という感じでした。)

田舎の家では珍しいことではないでしょう。

とにかく、自然に近い暮らしをしていました。

幼い頃は田舎が大嫌いで、田舎くさくてダサい自分が嫌で、早く都会に出たかった・・・w

でも、今考えるととても恵まれた環境で育ったんだな、と思います。

神様は普通にいる、どこにでもいる、そんな考えを持つようになったのは、実家の環境と農家文化、祖父母のおかげだと思います。

両親が少し偏りのある政治的思想を持っており、目に視えない世界のことは完全に否定されていました。

そんなことを口にすることもあまり良くないと言った雰囲気でした。

それでも、私の中には「神様だろうが、自然霊だろうが、幽霊だろうが、そういった存在はいる」という心の素地が出来上がったのは、祖父母が「自然」は「自然として」受けて入れて暮らしていたおかげだと思います。

特別な教えがあった訳ではありませんが、祖父母と一緒に過ごす時間が多かった私は、祖父母の日々の過ごし方を見て学んでいたのだと思います。今、改めてありがたいなと思います。ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん!

今の私は「神様だろうが、自然霊だろうが、幽霊だろうが、そういった存在はいて当然ですけど。何か。」という感じです。

日本の神様は怖い・・・?

「神様」という言葉にとても激しいマイナスな反応をされる方にお会いしました。

と初めに書きました。

このような方に対して、別に啓蒙活動をしたい訳ではないのですが、めくじら立てて否定する必要はないんやでーと伝えたい。

もともとの元は、神様は『自然』なんだから!

人間の力では御し難いという意味では、自然に畏怖を抱きますが、悪魔崇拝的な怖さってあるのかなぁ・・・?

次回は日本の神様について書いてみようと思います!

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