2018-04-06
このブログ記事は「蛇おんなペムのオカルト>スピリチュアル日記」https://snakelady13.hatenablog.com/(現在封鎖)に記載したものを再投稿しています。一部改訂を加えている部分があります。
こんにちは。
蛇おんなペムです。
今回は畏れ多くも勝手に「マイ神社」と呼ばせていただいている城南宮についてお話します

城南宮は平安京の南に位置し方除けの社として有名です。
794年の平安遷都の際に創建されたとされています。
平安京は四神相応の地に風水を良く考えて造営されたというおはなしはみなさんご存知のとおりです。
北の玄武=船岡山
西の白虎=山陰道
東の青龍=鴨川
南の朱雀=巨椋池
などと言われていますが
平安時代の当時にこれらの山や道、池、川が四神相応の根拠とされたかどうかは疑問視されている説もあるようです。
現代日本では「山川道澤」が四神に対応するという解釈が一般的ですが
果たして「山川道澤」が平安時代にも同じように解釈されていたかは疑問が残るといった所でしょうか。
現在、誰が決めたのか京都5社めぐりの社が定められており城南宮もそのうちの一社です。
*それぞれに平安京などの守護の役割があるのは事実だと思います
その五社はこちらです。
北:賀茂別雷神社
西:松尾大社
東:八坂神社
南:城南宮
中央:平安神宮
みんな超絶有名な神社ですね
さて、城南宮の御祭神についてですが、城南宮では以下の3柱の神々を合わせ祀り城南大神としています。
蛇おんななりに説明してみたいと思います
国常立尊(クニノトコタチノカミ)
八千矛神(ヤチホコノカミ)
息長帯日売尊(オキナガタラシヒメノミコト)
八千矛神は数多くある大国主命の別称の一つで、武神の側面を表すとされています。
息長帯比売尊はまたの名前を神功皇后といいます。
神功皇后というお名前なら聞いたことがあるという方も多いことと思います。
出産が間近にもかかわらず、三韓征伐のために渡海した神功皇后は
月延石などと呼ばれる石をお腹に巻いてお産を遅らせたという伝説が有名です。
応神天皇=八幡神で神功皇后の御子です。
応神天皇、比売神、神功皇后を合わせて八幡三神とすることもあるそうです。
八幡神の母神であること三韓征伐に自ら乗り出したことなどを考慮すると
かなり勇ましい女神様ということになるでしょうか。
さて、後回しにしていた国常立尊についてですが、日本書紀では天地開闢(世界のはじまり)の際に
一番最初に現れた神様として描かれており、古事記では神代七世(蛇おんなもあまり理解できていません)
の最初に現れた神様として描かれているため、はじまりの神様、根源の神様として神道で重要視されてきたそうです。
ほっほ〜
国常立尊といえば
大本教の教祖出口なおさんや日月神示で有名な岡本天明さんなどが神懸かりし、託宣をした神様です。
艮の金神であり祟り神であるとされたり、火山の爆発と結びつけられたり、某台湾の有名霊感占い師さんには「火」の属性を持つ神様とされて、少し怖い側面がクローズアップされているようなイメージです
蛇おんなにはが真実かどうかはまったくもってわかりませんが、
城南宮の3柱の御祭神はなんだかとても戦いに強そうではありませんか
国常立尊の属性は火とする説があると先ほど書きましたが
城南宮は平安京の南南は五行でいうと「火」に分類されます。これは偶然の一致でしょうか。
城南宮に勇ましい御祭神が配された理由は
平安京を外部からの攻撃や侵入などからゴリゴリに守りたいという願い、もしくは術的なものが施されているからではないかと蛇おんなは想像します
*ちなみにですが鳥羽伏見の戦いもここから始まったとされています。
こんな城南宮ですが神社の雰囲気はいたって穏やかです。
穏やかな中にも若干の厳しさは感じますが
それも心地良くとーっても清々しく気持ちの良い神社です。
少し長くなったので今回はここまで
城南宮さんのホームページはこちらです。
歴史や御祭神について、境内外摂社や末社についてなどの情報がたくさんです。
良かったらのぞいてみてくださいね。
*蛇おんなと城南宮は無関係です。ただただ城南宮愛が強い一市民です。
次回に続きます。
次回は城南宮と蛇おんなについてお話してみようと思います。
お付き合いくださったみなさま
ありがとうございます
*蛇おんなカテゴリーの記事はスピスピしています。スピスピが苦手な方はどうぞスルーしてください。
また数年前に書かれた記事については現在の考え方や生き方、知識などが反映されていない場合がありますので、どうぞご了承くださいませ。