11月の彷徨

こんにちは!

ショーコです!

嘘だろ、長々と書いた記事、全部消えてるじゃないかー!!!!

書き直します・・・。

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ブログに更新が、間が空いてしまったので、昨年11月のことを書きます。

どうぞお付き合いください。

大学院ウィークからの

私、某大学で聴講生をしています。

そろそろ進路の方向を決めたいなと思い、大学院ウィークなるものに参加してみました。

それぞれの研究科でできる研究について先生方と直接お話できたり、大学院生の発表を聞いたりできるのです。

なんて素晴らしいのでしょうか。

研究室の雰囲気とか大学院の雰囲気とかいろいろ事前にわかるって心強いですよね。

まずは、国語学の研究科に行ってみました。

祝詞に興味があると言うと、訓点資料ならどこどこの大学にいる先生が良いよーとか、教えてくださるんですが、

訓点資料というよりも、祝詞を解き明かしてからの日本人の神様観と、そもそも普遍的な神って何ということが知りたいのです、私は、ということになると「うちでは無理ー!文化的要素が入って来たら無理!ひたすら用例を集めて分析していく学問だから」と。

言われてみれば、それはそうだよなー!コーパスとかバリバリ使っちゃいますもんね。

言語学では無理だー。

次、古代歌謡の研究をされている文学の先生のところへ。

国語学のところで言ったことと同じことを言うと、「それはうちでは手に負えないなー」とのこと。

そして、どの学問にも当てはまる気がしない・・・とおっしゃりました。

でも、歌謡に興味があるならうちの研究室にどうぞ来てください!(院試パスしたらね)と言ってくださいました。

古代歌謡に興味を持ち始めたところだったので、授業を見学させていただくことにして、お次は民俗学の先生のところへ。

やっぱり、どの学問分野にも当てはまらないと思うけど、強いていえば宗教学かもしれないと言うこと、そして参考になる文献をいくつか紹介していただきました。

そして、宗教学の先生のところへ突撃。本当に、すみませんでした。授業後に突撃、初対面で・・・。

それにも関わらず快くご対応いただきありがたい限りです。他の先生方にも感謝感謝です。

興味の変遷

古代日本人の神様観が知りたいと思い祝詞の講座に通って4年あまり。

国語学の先生の研究成果があまりにも素晴らしく、研究者として常に厳しく真摯な姿勢を保ち続けている先生は今でも研究者として唯一無二の存在だと尊敬しています。

その思いは変わらないのですが・・・講座を4年間聞き、聴講生になっていろいろな分野の授業を取ったり、専門書を読んだりするうちに、「古代日本人の神様観」が何となくわかってきてしまった。

自分が研究する必要があるのか疑問になってきたのです。

1年前か2年前くらいだったら、文学と国語学をなんとしてでも勉強して日本の神様について知りたいと熱い気持ちを持っていましたが、今は鉄を熱したようなあの熱い気持ちは冷めて来てしまっています。

それよりも、人間が感じ考える普遍的な神とは何かと言うことに強い関心を抱くようになって来ているのです。

神の一声

宗教学の先生に、自分の興味関心について話しました。

自分でもよくわからないんですが、霊能者にインタビューしたいとか、新興宗教に潜入したいとか口走っていました。

本当は東大がおすすめだけど、通えないならうちの研究室で「興味があることを何でも」研究していただいていいですよ〜まあ、論文にするのは大変かもしれないけど。

ズドーン!

「興味があることを何でも」

「興味があることを何でも」

「興味があることを何でも」

私にとってはまさに神の一声でした。

こんなこと研究にならないと思っていたので、衝撃的でした。

私の居場所がもしかしたらここにあるのかもしれないと、パーっと目の前が開けたように感じました。

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